いきなり「無能」という言葉を聞くと気を悪くする人もいるかもしれません。
ですが、無能とは、成果を出す能力の欠如でもあるため、会社を運営する上で「無能」をどう扱えば良いかは、常に頭の痛い話でもあります。
事実、ピーター・ドラッカーの著作には「無能」という言葉が多数使われています。
ピーター・ドラッカーは非常に「無能」を問題視していました。
さて、今回は、この「無能」について製造業にいた私が見た実例を交えて考え方を紹介します。
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「無能」は誰の責任か?
「無能」を並の水準にするには、一流を超一流にするよりもはるかに多くのエネルギーを必要とすると言われています。
現実でも、多くの人達、組織、そして学校の先生方が、無能を並にすることに懸命ではありますが、「無能」の解決はそう簡単ではありません。
なぜなら、無能は
「頭が悪い」
「コミュニケーション能力が不足している」
「粘り強くない」
といった、わかりやすい個人の性質ではないんです。
誤解をしている人もいると思うので改めて言いますが、仕事をする人間の能力の高低は、ほとんどの場合は「無能」が直接的な原因ではないと思っています。
従って、「あいつは無能だ」という言葉の使い方自体、間違っているんです。
もっと言うと、実は、間違っているどころか、「無能」は個人の責任ですらないとも言えます。
「そんなこといっても、能力が低いやつは、使えないよ。無能はクビ!」
という経営者や管理職もいるかもしれないですね。
実際私は、これまで所属した企業や、コンサルティングで携わった企業で、経営者や管理職が
「アタマが悪いんだから、どうしようもないじゃん」
と平然と口にするのを何度か見たことがあります。
彼らも自分のクビがかかってるので、そうした人のせいにしたくなる気持ちはわからなくもないです。
ただ、それらの発言は、完全に的外れなんじゃないかと思うわけです。
むしろ「無能」をかんたんに個人のせいにする組織の方に問題があるのではないか、と。
「無能」とは何か?
では無能とはなにか。
それは前のセクションでも触れたんですが、「個人の能力」ではなく、「人間を効果的に扱う能力」の欠如によるものなんだと思うんです。
組織として無能にペナルティを課しても、無能は組織からはなくならないですね。
無能と思われる個人を排除しても、いつまでも無能は組織に残り続けることになります。
「絶対的な無能」は存在せず、組織が「働く人の特性」を、成果を出すために運用できないときに、無能が発生すると考えるからです。
だから、皮肉なことに組織の能力が低ければ低いほど、無能は増えるわけです。
例えば、わかりやすい「無能」の代表例である、ドラゴンボールのヤムチャを見てみましょう。
※ヤムチャファンの方、ごめんなさい!!
ベジータとナッパが地球に初めて来たとき、サイバイマンの能力を侮って油断し、自爆に巻き込まれて簡単に死んでしまいました。
ところがその後、怒ったクリリンは、その他のサイバイマンを一撃でほぼ壊滅させます。
そこで、こんなことを思うわけです。
「簡単に勝てるなら最初からクリリンが出ろよ、ヤムチャ死んじゃったじゃん。」
と。
ドラゴンボールだけじゃなく、
「自分の実力を勘違いし、敵を侮って、ひどい目に遭う」
的な無能キャラが、敵味方を問わずたくさんいます。
(出典:鳥山明 ドラゴンボール17巻 集英社)
一方のナッパも、長くベジータの下で有能な部下だったかもしれないのですが、悟空との戦いでは完全に「無能」と化し、大怪我を負い、結果的に上司のベジータに殺されてしまいました。
ベジータがもっと早く悟空の実力を見極めていれば、ナッパは死なずに済んだのではないかと思います。
(ベジータが弱いナッパを許したかどうかは別問題です。。)
ここで考えてほしいのは、組織や仲間は重要だ、ということです。
ヤムチャの実力不足は、集まったメンバーはある程度分かっていたはずです。
だって、“気”を感じることができるのですから。
クリリンやピッコロが、ヤムチャを「お前はここに来んな」「サイバイマンとは戦うな」と止めていれば、死なずに済んだんですね。
ベジータも、スカウターで「戦闘力5000」と悟空の戦闘力を把握していたにもかかわらず、ナッパをそのまま戦わせてしまいました。
ほんと、組織って重要です。
会社での無能とは
さて、先ほどのドラゴンボールの例について、会社で同じようなシーンに遭遇したことがある人も多いのではないかと思います。
「やる気のある新人に任せてみたら、やっぱり実力が不足してて潰れてしまった」
と全く同じ構図ですね。
仕事においては、「本人のやる気」と「仕事の結果」はほぼ関係ないなんてことは分かり切っているはずです。
ルーティンワークなどの単純作業なら「やる気でカバー」が通用したかもしれないんですが、考える仕事であったり、複雑な仕事に関しては、精神論ではどうにもならないです。
組織として、仕事の遂行能力が不足している人間に仕事を任せると他のメンバーも迷惑を被るわけですが、それ以上に任された本人はもっとつらい思いをするということも念頭に置かなければいけません。
いくらやる気があったところで、結果的に本人を不幸にするのであれば、それは上司として任命しないことが優しさというものです。
私が、「無能」は本人の責任ではなく組織の責任だと思う背景の一つです。
「無能」の扱い方
では、どうしたら「無能」をうまく扱えるのか、組織から「無能」をなくせるのか。
無能の本質的な原因は、
「自身、あるいは他者の能力不足を認識できないか、もしくは過大評価している」
ことにあります。
先ほどのドラゴンボールの事例だと、「ヤムチャは来るな」とみんなが言えばいいのに、戦いに参加させるから死んでしまうことになります。
会社でも同じなんですね。
例えば、言語化能力に欠けるのに提案書を書かせるから、
「ひどい日本語だ!」
と言われた部下が恥をかいて叱責される。
人の心を読む力がないのに営業をやらせるから、営業成績はいつも振るわずに、営業部門の会議では
「やる気がない!」
「もっと考えろ!」
と詰められる。
絵心がないのに製品設計なんかをやらせてしまうから、まともな設計ができなくて
「もっと完成を磨け!」
って感覚論を押し付けられる。
「やらせてみないと能力はわからない」という人もいるかもしれないんですが、半年、いや、3ヵ月もやらせてみて、結果が出なければ「能力はない」と見た方が組織のためでもあるし、本人のためでもあります。
本人の必死の努力や、上司の指導時間を大量に投入すれば、「無能」から「並」くらいにはなるかもしれないんですが、ドラッカーの言う通り、それは虚しい努力だと思うんです。
しかも、本人への気遣いなどから、状況の改善や適応が進みづらくなり、傷つく人が無数に出てしまいます。
「無能」の成れの果て
できないことや苦手なことを延々と突きつけられると、しまいにはその本人が病んでしまいます。
鬱になる原因のほとんどは長時間労働ではなく、人前で自分の能力の無さが露呈する事にあるっていう興味深い指摘があります。
確かに、仕事と自分の能力が見合ってなく、かつ短期間でどうこうできないのが心底理解出来たとき、めちゃくちゃストレスを感じますよね。
逆に言えば、頑張ったあかつきにどうにかなるものであれば、けっこう耐えられたりもします。
ブラック企業とは、強烈な恥や負荷を与えて人を「選別」する企業なのかなぁ、とも思います。
とある産業医の先生に、こんな話を聞きました。
とある企業のサラリーマンが、プロジェクト・チームのサブリーダーとなったそうです。
サブリーダーの彼は、その仕事を一生懸命頑張っていたということではあったんですが、チームのプランを役員の前でプレゼンする直前にうつ病を発症してしまい、先生の診察を受けることになったという経緯がありました。
上司や同僚は
「仕事が忙しすぎて鬱になってしまったのだろう」
と思っていたようなんですが、メンタルヘルスの専門家である先生いわく、彼の鬱の本当の理由は
「役員の前でプレゼンして自分の能力不足が暴かれる事の逃避行為」
なのだと言います。
だから無能をなくすためには、
1.「正確な実力の認識」
2.「能力にあった仕事の配置」
を冷徹に決断しなければいけないということです。
下手に上司が、いらない情に駆られて、まだ能力が備わっていないのに周りと同じ仕事をやらせ続けるなどは、絶対にやってはいけないんですね。
「無能」をうまく扱った実例
昔、ある大手製造業の製品開発部門に「無能」とされている人がいました。
その彼は、製品開発部門から総務部門へと異動になりました。
製品開発部門では、いくつかの問題を起こしたり、精神的に病んでしまって休んでしまったため、事実上開発部門を追い出されたということです。
なぜ、製品開発部門での評価が低かったのかをよくよく聞くと、
「まず仕事が遅い。そのくせやってるフリだけはする。そして余計な仕事も全部抱えてしまってそれらを全てこなそうとしてばっかりで、怖くて納期のある仕事は頼めない」
「あと、間違いを指摘しても、それを素直に受け止めない。『その考え方は間違ってて、優先すべき仕事はこっちだよ』と指摘しても『でも、、』『じゃあどうするんですか!』とか言う」
と。
こうした部内の評価もあって、技術系大学院出身の本人の希望は全く考えずに、長期休暇明けには総務部門に異動になったのでした。
総務部門での彼の仕事は、「食堂メニューの貼り出し」や「食堂に関するアンケート」などの、地味で皆が「つまらない」と思っている仕事でした。
「あいつに結果が出せる仕事はこれくらいしかない。不本意かもしれないけど、もうそれはそれで仕方ないだろう。」
ということのようでした。
ところがその後、彼に関する悪い話は、徐々に聞かなくなったと言います。
それどころか、
「食堂の質が上がった!」
「メニューがちゃんと貼り出されてていい!」
という話すら聞こえてきたようです。
「まあ、本人も淡々とやってるし、今の場所が合ってるんじゃないかな。」
と先生は言いました。
私は、
「必ずしも、本人の希望が叶わないことは本人を不幸にしない」
と思うようになりました。
また、
「本人の能力に見合う場所を見つけてあげるのは、マネージャーの超重要な仕事の一つだな」
とも思うようになったのです。
おわりに
チャレンジは重要です。
とはいえ、ヤムチャが「サイヤ人と戦って世界を救いたい」と思っていたら、それは不幸を招くだけでもあります。
ただ、ヤムチャはおそらく、一般人向け武術講師としては悟空よりはるかに優秀なはずです。
常識もあるし、世間のことをよく知っている。
一般人からすれば、彼は神がかった実力を持っているし、ミスター・サタンなんかよりもはるかに強い。
ミスター・サタンがスーパーヒーロー扱いされてめちゃくちゃ稼いでいるのだから、西の都で「武術教室」でもやれば、めちゃくちゃ儲かりそうな気もします。
場所が場所なら、ヤムチャは別に「無能」というわけではないんですね。
「無能」を作る組織になっていませんか?
もう一度問い直してみたいものです。
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